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コラム ALSの災害対策

本稿について:
ALSは、病気が進行すると、自分の動作を人にしてもらうことが増えていきます。平常の生活の中で、自分で自分の身を守ることも工夫や人の手が必要になります。災害に対しても綿密な打ち合わせや準備が必要になります。ですからALSを例に災害を考えることは、多くの医療的ケアや重度障害の方への災害対策の参考になると思います(本間武蔵)。

はじめに
 令和8年熊本地震が7月28日16時27分に発生し、にわかに災害や防災の話題で情報があふれている毎日です。私は東京にいて、天気の雨雲情報を見ようとしてスマホで地震発生を16時半過ぎに知りました。地震の実感はないのにラジオでは「避難!」の連呼が毎日続いていました。直接的な揺れの実感記憶がないなか被災地の情報を聞き、思いを馳せるというのが今のネット社会での震災の体験なのかなと思っていました。ところが、難病の方々の災害について文にする機会を与えられたことがきっかけで、そこには大きな世界があることに気が付きました。以下それを過去にさかのぼって記したいと思います。

目次:

1-1災害の始まり
1-2備えるということ
1-3日々の手助け
1-4細かいことほど重要

2-1すべてを人にゆだねるということ
2-2自分の身を自分で守れる人の幸せ

3-1常にコミュニケーションは命綱
3-2ナースコール
3-3人とのやりとり

4-1生きる決意に災害時が含まれていたか?
4-2あらためて反応が乏しく身動きできない人たちを理解する

5お役立ち情報
 5-1紙文字盤
 5-2人力スイッチ
 5-3金魚ポンプとポータブル電源
 5-4ウエッジエッジとリムーバー
 5-5傘袋

1-1災害の始まり
 多くの災害は日時の始まりがあります。東北震災の時は2011年3月11日午後2時46分でした。
 ちょうど同じ3月に患者家族会が開かれました。ある女性ALS患者さんは、東北地方の方々への祈りと共に、ご自身がALSにり患したこと、ALS告知は、自分にとっては震災にあったような感覚であるとあいさつの中で述べられました。突然の告知が地震や津波のように押し寄せ、そこからそれまでとは大きく違った感覚での生活を余儀なくされることを指し示しています。そして災害に復興があるように、ALSと言われた生活にも復興があると述べられました。

1-2備えるということ
映画「Return to my Blue」を観ました。人工呼吸器装着児が沖縄の無人島に旅行に行く話ですが、同行した医師が旅行用に特別用意したカバンの説明を現地でするのですが、「これは今回の旅行用に備えたものですが、そのまま災害時にも使えそう。」と一言。災害時に標準を合わせることで無人島旅行への可能性を広げる、まさしく災害と可能性の未来をつなぐ感覚だと感じました。災害をあってはならないこと、非常時だけのことと捉えるのではなく、災害でも大丈夫な備えが、非日常にも可能性を広げるということを端的に表しています。
 映画の中では電源のない場所での人工呼吸器や電動車いすが大いに使われています。おそらくは相当の準備や環境整備がなされているものと想像します。
 特に「電気」は目に見えないだけに、どれだけある、とか、ここでもらえるなど「確認できる安心」より、「見えない不安」の方が大きいと感じているように見えます。

1-3日々の手助け
 「この病気について言えることは、すべてのことが自分ではできなくなるということなんです。」と述べた当事者がいました。日々の「すべて」に手助けが必要になるということは、想像しても想像しきれないと思います。私は進行により次第に介助量が増え続けている方に「人の手助けさえ得られれば、できないをできるに変えられる!」という言葉をかけます。しかしながら、その方からの言葉として、あるいは表情として、あるいは心の中でその「人の手助け」が申し訳ないし、正直、嫌なんです、という方も少なくありません。手助けを受けていると感じたら、感謝を示せばいいのではないか、と声をかけると、「そのありがとうすら言えなくなる、伝えられなくなる。」という返事が返ってきたことがあります。想像しても想像しきれないということを強く感じた瞬間でした。

1-4細かいことほど重要
 日々のケアのなかで座り直しが多いということが何回もカンファレンスで取り上げられている方がいました。座り直しの前後で、実際にどれだけ位置が変わったかほとんどわからないのですが、お尻の位置が1センチ違うだけで、表情が明らかに変わります。その方は座った姿勢で足の動きで演奏をなさるのですが、座り直しの位置が決まると、演奏自体がまるっきり見違えるようによくなります。このように細かい部分ほど全体に大きく効いてくると言えます。ちょっとしたことがどれだけありがたいか、ということを示しています。

2-1すべてを人にゆだねるということ
 ベッドや車いすからポータブル便器への移乗がうまくいかずに、足先がねじれたままになっていた方がいました。介助者は「落とさない、転ばない。」ことに全集中していますから、目線や表情で何か訴えていても、「ちょっと待って!」と後回しにされてしまっていました。
すべてを人にゆだねるということは、全部やってもらうということだけでなく、気づいてもらえるかどうかもすべてゆだねるということなんだと思い至りました。気づいてもらえれば一瞬の痛みだけで済んだものが、気づきが遅れケガとしてその後の生活に響くこともあり得ます。

2-2自分の身を自分で守れる人の幸せ
 在宅療養難病患者さんには災害時個別支援計画が立てられています。生活地域のハザードマップも参考にして支援者を登録して、災害時の対応計画を立てています。特に人工呼吸器について、電源供給の確保など綿密な計画となっています。
 話だけ聞いていると、様々なことを想定して細かい対策を立ており、難病の方に対する手厚さを感じます。
 あるヘルパーステーションを創設した方と災害の話をしたとき、ヘルパー自身がまず自分の身を守ってこそ他の人を守ることがある、とおっしゃっていました。計画に従ってそれぞれの人がそれぞれの役割を果たせるのは、自身が負傷していないことが前提となっていると気づかされました。他人のために動けるのは、自分の身を自分で守れているからこそなのであるという当たり前のことのありがたさに気づかされました。

3-1常にコミュニケーションは命綱
 災害時、道路が壊れて孤立したり、安否確認ができない情報孤立している地域や人について大きく取り上げられます。災害時という非日常では、当事者は支援者の間でのコミュニケーションが非常に重要になります。ある方が、難病の告知を受けたこと自体が自分にとっては震災であると、はじめにに述べました。難病領域でのコミュニケーションというと「意思疎通」であり、直接的にはその「手段」を指します。初期の人はしゃべれています、書くこともできます、スマホも操作できます。すなわち手段は保たれています。しかしながら本当に感じていることや思っていることを伝えているとは限りません。一方、災害時に必要なやりとりやご本人への確認事項は非常に多岐にわたると思います。その時必要なことがコミュニケーションできることが何より重要ですが、背景に、そもそもの思いや病気や人生に対する考えがあることも踏まえる必要があると思います。自宅で最期まで生活する、だから救急車は呼ばない、と決めていても、災害で怪我した場合は、関係なく呼ぶ、ということもあります。必要なやりとりには、その背景に思いがあることを意識する必要があり、そのためにコミュニケーションはどの場面でも命綱であると私は思っています。

3-2ナースコール
 ナースコールは、あくまで人を呼ぶためのものであり、コミュニケーションではない、呼ばれた人が現れてからがコミュニケーションだと私は考えています。しかしながら、物理的にも精神的にも孤立するかもしれない災害状況では、人を呼ぶことができることも大いなる安心につながるなど実質的なコミュニケーションになると思います。ある方は、飛行機でALS国際会議に向かうとき、機内で呼び鈴が使えないことがとても不安だと相談にきました。呼び鈴が使えない状況や場面で、その分、周囲の人やスタッフが「顔を覗き込んで用がないか確認するから大丈夫。」という言葉はよく耳にしますが、それではダメだそうです。これもよく考えてみると、用件があるかないか、ある場合はその内容は何か、がコミュニケーションではないのです。コミュニケーションは命綱ですが、聞かれたことに答えることが中心となって、「思いを聞いて!」と、はい・いいえ以外の自由な表現ができない人とのコミュニケーションであるということを支援者は意識しておく必要があります。

3-3人とのやりとり
 ナースコールはまさしくONOFFの世界です。できれば言葉や文字が表現できて自由な内容が伝わることが望ましいです。やっとやっと文字を示すことができて一生懸命何かを表現しようとしかけている途中で、不機嫌な表情になったり、泣いてしまう方もいます。そのような時、私は「そんな顔しないで文字で示して、わからなから。」と言っていた時期があります。今思うとなんて残酷なことを口にしていたのか、「そんな顔」が示しているものが本当に伝えたいことなのであり、顔や態度をそのまま理解しようと思っています。同時に私たち支援者の顔や態度も相手に伝わっているという自覚を持つようにしています。人とのやりとりは、命綱になっていると強く感じるようになりました。

4-1生きる決意に災害時が含まれていたか?
 「生きる決意」として、進行性神経難病には進行により人工呼吸器を装着することを受け入れて生きていくというプロセスがあります。
 胃ろうとマスク型呼吸器まで、と決めていた方が24時間マスクで療養生活をしているなかで家族や周囲の人たちとのかかわりの中で「生きるスイッチ」が入った方がいます。生きるスイッチ=気管切開の受け入れではなく、延命はしないとしても生きるスイッチが入った状態で生きていくという感覚に目覚めたというものでした。最後は家で、と固く決めていたため、救急車は呼ばないと決めていました。これは何があってもそれに逆らわないということのように響きましたし、実際にマスク24時間装着という「不安定な」生活では、日々のケアのこと、マスクの装着調整や吸引のことで精一杯という印象でした。その後、家族の24時間マスクでは実質気管切開と変わらないのではないかという言葉や、周囲のスタッフが気管切開したら旅行にも行けるという見通しなどを示すなどから、「みんなが生きるスイッチを入れてくれた。」というご本人の言葉と共に気管切開をして在宅療養生活となりました。不安定なマスク型呼吸療養生活から解放されて、趣味の音楽や読書までできるようになると、災害時の対応としてのバッテリーの確保のこと、支援体制のことなどに、それまで全く視野に入れていなかったご本人が、きちんとご家族や在宅チームの意見を受け入れられるようになりました。災害時のこと以外でも、日常使用する器具や用具の清潔、身体の発赤などもきちんと受診するなど命や身体についてもともと日常を万全の体制を整えていましたが、このことは、災害時のみならず、平時日常生活での近所の公園への花見や図書館への散策を可能にし、箱根への旅行立案するに至っています。
 この方のここ1年の生活の様子から、「命に対する考え」と「日常の身体や生活の安全」は必ずしも連動するものではないと言えます。災害への備えも生活の一側面であり、生活に対する向き合い方や考え方は、もともと持っていた人生や生活に対する考え方や価値観から来ているように見えます。

4-2あらためて反応が乏しく身動きできない人たちを理解する
 長期療養のなかで、次第にナースコールスイッチが困難になり、目の動きも思うようにならなくなって視線透明文字盤が読み取りにくくなったりと、ご本人からの表出が難しくなることがあります。
 そのような状況で周囲の人は何を参考にしているのか、いくつかの例をお示しします。
ある方は、サチレーションと同時に示される脈拍をみて、70以上なら起きている、と解釈して声をかけていました。
 ある方は、ベッドサイドの立ち、声をかけて「視線をこちらに感じるかどうか」を意思表示の反応にしていました。
 ある方は、声掛けに対して眼球の僅か1ミリ程度の動きの様子を見て、声掛けの方法を工夫して言いたいであろうことにたどり着く方法をとっていました。長い経過があり、かつての彼ならこの質問にどう答えたであろうか、と想像してそれを問いかけていました。
 ある方は、特定のヘルパーさんだけではありますが、どうにか表情と文字盤で言いたいことを読み取ることができる期間がありました。この時期、言葉でのやり取りはできなくなっていましたが、外出でコンサートに行くと、ステージを見つめながら涙することもありました。
 ある方は、いよいよ反応が完全に読み取れなくなるということになりましたが、その時期は介護していた方が大きく落ち込んでいたものの、それまでの生活でしていた動画鑑賞などをかつてと同じリズムで再開し継続していました。

 これらの経験からわかることは、周囲の人は知ろうとすることをあきらめない、ご本人は伝えようとすることをあきらめない、ことはとても重要であり、その上で、反応がわからなくなったとしても、「それまでを継続する」ことで療養生活を続けていくことが可能であると言えます。ナースコールが困難になった状況の中で、再び新たな方法を試行錯誤しつつ、いずれは、ナースコールが完全に押せなくなってもいい生活を作っていくことが大切だと思います。
 災害についても、ご本人の表出がなくて確認が取れないとしても、本人の意向を尊重しつつ安全な生活を維持継続していく必要です。

お役立ち情報:
5-1紙文字盤
 視線透明文字盤が常にあるとは限りません。文字盤程度の紙1枚を用いて目線で文字を特定する方法があります。
 広告でも新聞でも構わないので四角い紙を用意します。2つの短辺に「あかさたな」「はまやらわ」を書き、長辺に「あいうえお(aiueo)」を書きます。紙を顔にかざして「あかさたな」か「はまやらわ」のどちらを見ているかを知り、次に、「あかさたなはまやらわ」のどの文字を見ているかを探ります。もし「な」だったら、「な行」の文字と理解して、長辺を目の前に提示して、あ(a)=「な」、い(i)=「に」、う(u)=「ぬ」、え(e)=「ね」、お(o)=「の」に対応させて「あいうえお」のどれを見つめているかで文字を特定します。次に「た」だったら、「た行」の文字と理解して、長辺を目の前に提示して、あ(a)=「た」、い(i)=「ち」、う(u)=「つ」、え(e)=「て」、お(o)=「と」に対応させて「あいうえお」のどれを見つめているかで文字を特定します。ここでは、な行⇒あ=「な」、た行⇒「う」=「つ」だったら「なつ」=(夏)となります。

5-2人力スイッチ
 ある方が、長いこと右の親指を伸ばす形で入れていたスイッチがついに使えなくなりました。半年程度やり取りできない状況が続く中で、奥様に通常にコールスイッチを握っていただき、スイッチしてほしいタイミングで見つめている先をスキャンで文字が流れるパソコンの画面から「奥様を見る」、奥様は視線を感じたら握っているスイッチを押すという形をとりました。すると、これで長い文や日記を書くことが可能となりました。
 この「人がスイッチになる」ことを「人スイッチ(人力スイッチ)」と呼び、何人かの方に普及させました。支援している人の感性でスイッチ操作をしたらそれにまさるものはないと私は確信しています。

5-3金魚ポンプとポータブル電源
 唾液吸引のための金魚ポンプを使って持続吸引している方がいます。なかには外出用に乾電池で動くポンプを購入されている人もみかけます。みなさんそれぞれのやり方で苦労されていますが、金魚ポンプの本体よりやや大きいAC電源を用いて使うのが安定しているようです。

5-4ウエッジエッジとリムーバー
 気管切開して人工呼吸器を装着している方の訪問時、吸引依頼に応じてヘルパーさんがカニューレにつながっている管を外そうとしたのですが、全く外れる気配がなく、吸引できません。このままでは命にかかわると救急車の要請まで検討されました。結果的にヘルパーステーションの所長が援護に駆けつけ外すことができました。
 この経験をもとに調べてみると、連結部分を誰でも簡単に外れるようにするくさび型の部品が販売されていました。このように日常の中にも、呼吸に影響する事態も起こり得る状況であり、日常の中の小さな災害であると思います。

5-5傘袋
 ある男性患者さんは、完全な車いす生活ですが、お小水は、雨の日のスーパー入口にある傘の袋でするようになりました。普段も傘の袋をつけたまま生活しています。
 実際に傘の袋で用を足してみましたが、袋から外に漏れることもなく、袋が長いのでしばることもできトイレで中身を捨てた後もコンパクトに捨てられるなど良い点がたくさんありました。
 患者さんだけでなく支援するヘルパーさんなど周囲の人の排泄もこれが使えれば災害時にとても活動しやすくなると思われます。女性にこの傘袋使えないのを残念に思っていたら、100均にほぼ同じ袋で入口が工夫された「男女兼用」のものがありました。これで排泄に関して大いに助かると想像します。

この項目5のお役立ち情報に関してはあくまで自己責任でお試しいただきご使用になられるようにお願いします。

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